kodama Gallery
Mayuko Wada Built Structures 2

Press Release

拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
 児玉画廊|天王洲では1月20日(土)より2月24日(土)まで、和田真由子「建物 2」を下記の通り開催する運びとなりました。今回の個展は、2017年4月に児玉画廊(白金)にて開催した個展「建物」 の内容を受けて構成されます。「建物」では平面的な支持体(木製のパネル)上に建物のモチーフを描く、という作品で統一していましたが、今回の「建物 2」では、建物をモチーフとした立体的な構造でありながら平面視的性格の造形作品、によって構成されます。両者は「建物」を表す作品として同じ軸足を持ちますが、その在り方に於いては反対の性質を持っています。前回と今回の個展を通しての和田の論点は、「建物」というモチーフにまつわる和田真由子的イメージ論における表現のS極とN極です。
 和田は、これまでの発表で一貫してきたように、「イメージにボディを与える」行為を作品制作と言い、狭義においてはそれをこそ絵画と呼ぶ、というテーマの元に制作をしています。絵画というものの認識を「イメージ」の描出という一義に特化して、極めて可変な行為として拡張し、再定義しているのが和田真由子です。そのコンセプトの根幹にあるのが「イメージ」です。キャンバスやフレーム、布地に絵具、そういった絵画的なフォーマットに則っていさえいれば全て絵画であると見做すのは本質ではありません。和田によれば、真に絵画的なものとは、作者が思い描く「イメージ」そのものであり、その表出としての作品は形態を問わず「イメージにボディを与え」たものであり、その「ボディ」を支えるための台座のような役割をキャンバスなり塑像台が果たしている、という解釈です。プラトンのイデア、福音書におけるロゴス宜しく、「イメージ」は和田にとってあらゆる芸術的描出の根源であります。「イメージ」に従って作品を構成する全ては形づくられる。この和田の考えを是とするならば、論理的には従来的な絵画や彫刻の制度に乗っ取ることでは実現不可能になり、まずは胸中にある「イメージ」がいかなる在りようかを吟味し、その在りように極力近似するべく相応しい素材と手法を手探りで見つけ出さねばなりません。つまり、和田の作品がいかに不恰好に歪んでいても、和田の中に「イメージ」として浮かんだそのものを、ありのままに表現しようと試みた結果であるのです。ある人がある「イメージ」をどのように胸中に抱き、いかに瞼の裏に映し出しているか、それらはすべてその人個人のみに認識される現象であり、他者とその体験を厳密に共有することは不可能です。しかしながら、それを不完全ながらも伝達するために、言葉や文字があり、音楽があり、絵画が必要とされるのです。この基本に一度立ち帰って絵画の意義を問い直すための数多の思考・試行を繰り返しているのです。
 「建物」と「建物 2」の二つの個展を横溢するテーマは明確で、「建物」の「イメージにボディを与える」こと、その一点に尽きます。建築物が和田が繰り返し取り扱うモチーフのひとつである理由は、ただ建築が好きであるという理由以上に、構造的な「イメージ」を最も描きやすい対象であるからです。基礎があり、柱があり、壁面、窓、入り口、そして屋根がある。それらは専門的な知識がない人でも、ある程度具体的に構造を思い描くことができます。この点において、和田と鑑賞者の間に少なくとも一定の共有項が存在するために共感しやすい、という利点もあります。
 平面上に「建物」を描く場合においても、和田の「イメージ」の強弱に応じて描写や素材、色彩などに微妙な変化が現れます。構造的に非の打ち所のない完全なる「建物」としての「イメージ」がある一方で、あからさまに実現不可能な「建物」のように見えるだけの「イメージ」もあるからです。例えば、実際の建物は簡略化すれば直方体の構造を持っているので、「イメージ」の中でも直方体の構造に沿って思い描かれます。しかし、その思い描き方が、錯視的、だまし絵的な構造であったらどうなるでしょうか。見え方としては直方体であっても構造的には直方体とは別のものになってしまいます。「絵画」であるということは、そういう嘘を容易に吐けることでもあります。2017年の個展「建物」が木製パネルの上に様々な建物の在り方を示していたことの意味は、そこにあるのです。木製パネルといういかにも絵画的なフォーマットにおいてもなお、「建物」が構造的に成立し得ること、あるいは(もはや悪意とも思える思考の転回ですが)構造的な見かけを持った絵画的な「建物」としても成立し得る、その多様なグラデーションを示し、ひいては和田の主張する「絵画」を立証しようとしたのです。
 今回の「建物 2」においては、一転して立体的な造形の作品によって構成されますが、これも、立体的だから彫刻作品である、とはなりません。基本的に今回の作品はむしろ「絵画」であることを基本としています。それは、「建物」の「イメージ」が、和田の中で極めて平面視的であるからです。写真に写したビルを想像すると分かり易いかもしれません。長方形のファサードと、側面はパースによって多少奥行きに従ってすぼんでいく形に写っているはずです。見上げるようにカメラを構えれば上向きに狭まっていくパースも付いているでしょう。これを頭の中で想像し、それを現実空間に持ってこよう、というのが「建物 2」の作品です。実際にベニヤ板を切り出して、それぞれのパーツを「イメージ」に見えている通りに作成していきます。長方形のファサード、側面はひし形あるいは平行四辺形ですから、結果は火を見るより明らかで、直方体にはなりえず、ビルとしての造形には程遠いものになります。しかし「イメージにボディを与える」という至上のコンセプトにおいて制作している和田にとって、この事実は変えようもなく、受け入れるしかありません。構造的には無理でも、建っているビルの「イメージ」である以上、どうしてもそれは建っていなくてはならないのです。結果として、いびつな、今にも崩れそうな僅かな均衡を支えにかろうじて成立している「建物」が出来上がります。これを建築模型のようにそれらしく整えてしまうと、それは曰く「絵画」ではなく、ただのつまらない彫刻に成り果ててしまいます。英語で”Built structures”とあてているのは、これらは建てられた構造物である、つまり自発的に建っているのではなく、「イメージ」を建たせている(絵画面上でも空間上でも)、という謂わば神の手の介在を明確に述べるためであり、ここに至り「建物」という聞き慣れた言葉の意味と響きは、「絵画」とは何であったかという問いと共に崩壊します。
 平面上では「建物」であろうとし、空間内では「絵画」であろうとする、その両極端なねじれは、決してパラドクスではなく、まして冗談めかしているのでもなく、「イメージにボディを与える」と定義付ける「絵画」の新しい在り方なのです。そのねじれた理論が、絵画にもたらす新たな思考領域は無限の可能性を潜めています。
 つきましては、本状をご覧の上展覧会をご高覧賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。



敬具
2017年12月
児玉画廊 小林 健



記:

作家名: 和田真由子 (Mayuko Wada)
展覧会名: 建物 2
会期: 1月20日(土)より2月24日(土)まで
営業時間: 火曜日-木曜日および土曜日 11時‐18時 /
金曜日 11時-20時 / 日・月・祝休廊
オープニング: 1月24日(土)18時より



お問い合わせは下記まで

児玉画廊|天王洲
〒140-0002 東京都品川区東品川1-33-10 TERRADA Art Complex 3F
T: 03-6433-1563 F: 03-5433-1548
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